日本における賭博の成り立ちとは?オンラインカジノをこれまでの歴史から徹底解剖

日本における賭博の成り立ちとは?オンラインカジノをこれまでの歴史から徹底解剖

IR推進法(カジノ法案)が成立し、日本国内へのカジノの設置が公式に認められたことを受けて、日本における賭博・ギャンブルの歴史は今まさに新たな1ページを刻もうとしています。
ギャンブルには多くの人間を惹きつける魅力がありますが、過去の歴史の中で、日本人は賭博とどのように向き合ってきたのでしょうか。

この記事では、日本にオンラインカジノが持ち込まれたきっかけや、日本における賭博の成り立ちなどの歴史を掘り下げていきます。

日本における賭博・カジノの成り立ち

日本における賭博・カジノの成り立ち

日本の歴史の中で、はっきりと賭博行為が行われていたことがわかる記述が残された書物は、現代においても非常に有名な「日本書紀」です。
720年に完成したとされる日本書紀には、685年頃の天武天皇が「博戯」を見物していたと明記されています。
博戯とは現代における賭博のことであり、このときの天武天皇は、サイコロを使った双六のような賭け事を見て楽しんでいた様子です。

サイコロや双六といった、今でも賭博に使われることのある道具は、遣唐使によって当時の唐、現在の中国から輸入されました。
これらの品が次第にギャンブルに使われるようになりましたが、当時は賭博行為を取り締まる法律がなく、庶民の間でも自由に賭博が楽しまれていた様子です。
なお、当時は現在のように金銭ではなく、「牛」や「馬」といった家畜が賭けられていたといいます。

これが、記録されている中では最も古い日本と賭博のはじまりです。

なお、689年には持統天皇によって「双六禁止令」が発令され、賭博行為が事実上禁じられることになりました。
その理由は「双六に熱中して農作業を行わなくなるから」というものです。
まるで、ゲームに熱中して勉強をしなくなった子どもを叱る母親のようですね。

戦国時代~明治時代にかけての日本の賭博・カジノ

戦国時代~明治時代にかけての日本の賭博・カジノ

一度は禁止された賭博行為ですが、ギャンブルはその形を変えながら現代まで残り続けます。
戦国時代~明治時代にかけての日本の賭博事情は、各世代の時代背景が見え隠れする興味深いものです。
それでは、時代別に日本のギャンブル史を紐解いていきましょう。

戦国時代に行われた賭博

戦国時代も賭博の中心は双六でしたが、単純に賭博を楽しむというよりも、合戦の合間にリフレッシュ目的で行われることが多くなりました。
戦場に多くの賭博道具を持ち運ぶ余裕はないので、双六を簡略化させたゲームがギャンブルの中心になり、ここで生み出されたのが「丁半賭博」です。

また、この時代はオランダやポルトガルといった欧州諸国からの「舶来品」が出回り始めます。
その中の1つが「カルタ」であり、動乱の歴史が終息するにつれて、再び大掛かりな賭博が主流に返り咲くことになるのです。

江戸時代に行われた賭博

江戸時代も賭博の中心はカルタでしたが、1648年に徳川幕府によって禁止令が出されると、1787年にはカルタなどの賭博で使用する道具そのものが販売禁止になってしまいます。
これを受けて「合法的な娯楽道具」として登場したものが「花札」です。

花札も「カルタに準ずるもの」として正式に禁止されますが、庶民は隠れてギャンブルを行う「闇カジノ」のような行為に没頭するようになりました。
ちなみにヨーロッパでは、世界最古となるランドカジノの「カジノ・ディ・ヴェネツィア」が、1638年にイタリアで誕生したといわれています。

明治時代~戦前に行われた賭博

明治時代に差し掛かると、ギャンブルは「庶民の単なる遊び」から「暴力団等が行う資金稼ぎの手段」へと変化を遂げていきます。
これを看過できなかった明治政府は、それまでの賭博に対する向き合い方を一変させ、現行犯以外でも賭博者を逮捕できるように法律を改訂しました。

この頃になると欧米諸国から「トランプ」が輸入されるようになり、自由民権運動も相まって「自由に使える遊戯品」として庶民の間にも出回ることになります。
これを受け、明治政府は遊戯用に限りトランプの使用を認めざるを得なくなり、その影響によって禁じられていた花札の販売も解禁となりました。
現在はビデオゲーム・携帯ゲームの第一人者として有名な「任天堂」も、元はこの時代に花札やトランプを販売して成長を遂げた企業なのです。

1930年代からは、世界各国にランドカジノが乱立される時代に突入しました。
アメリカでは1931年にネバダ州でカジノが合法化され、今や世界一のカジノタウンであるラスベガスが誕生するきっかけになっています。
モナコ、オランダ、スペイン、イギリス、南アフリカなど各国にカジノが誕生したのもこの時代です。

戦後に大きく変化した日本とギャンブルの関係性

戦後、日本では一部の賭博行為が公に認められるようになります。
現在も主流のギャンブルであるパチンコ、競馬、競輪が栄えたのもこの時代です。

とくに、パチンコはいわゆる「グレーゾーン」にあるギャンブルですが、三店方式を導入することで摘発を免れ、庶民に娯楽を提供し続けています。
そのため、今のオンラインカジノ推進派の中には「なぜカジノがダメでパチンコは許されるのか」といった主張をする人も珍しくありません。

公に認められているギャンブルに限り、日本人の誰もが博打を楽しめる時代になりましたが、その他の賭博行為は原則として「賭博罪」により堅く禁じられています。
1990年代にはお隣の韓国にランドカジノが誕生しましたが、この時代の日本では「カジノを解禁にしよう」といった動きはほとんど見られませんでした。

カジノ法案の成立により、日本におけるカジノの歴史が大きく動き始める

カジノ法案の成立により、日本におけるカジノの歴史が大きく動き始める

2010年代に入ると、それまではカジノを完全に否定していた日本政府が、一転してランドカジノの誕生を認める法律作りに着手します。
いわゆるカジノ法案(IR推進法)が2016年に成立すると、全国の自治体から候補地を募り、東京・大阪・横浜をはじめとする自治体による誘致合戦がスタートしました。

日本政府がカジノ解禁に動いた理由は、訪日外国人(インバウンド)の数を増やしたいという思惑があるためです。
とくにシンガポールによって行われたIRで、世界的リゾートとして名高い「マリーナベイサンズ」が誕生したことが大きな後押しになったと考えられます。
日本に誕生する予定のカジノも、あくまでもカジノ単体ではなく、ホテルや観光施設を含んだ「統合型リゾート」となります。

日本におけるオンラインカジノの歴史とは

日本におけるオンラインカジノの歴史とは

インターネットの普及によって、カジノも新しい楽しみ方ができる時代になりました。
現在、日本でも急速な普及・拡大が続く「オンラインカジノ」の誕生です。

オンラインカジノのはじまりは1994年とされています。
アンティグア・バーブーダというイギリス領の島国がオンラインカジノライセンスを発行し、これを利用してネット上でカジノを運営する事業者が出現したのです。
こうして世界初のオンラインカジノとして誕生したのが「インターカジノ」で、このサイトは現在も日本国内から楽しめますよ。

しかし、オンラインカジノの黎明期には詐欺が横行し、安心して利用できる環境は全くといっていいほど整っていませんでした。
第三者機関による監視が強まることで詐欺を防止することに成功しましたが、現在も一部で開かれている闇カジノには注意が必要です。

2016年、日本における初の逮捕事案が発生

インターネットの発展と市場拡大を受けて、2010年代には日本人向けのオンラインカジノサイトが続々と登場しました。
日本文化にも着々と根付き始めていたオンラインカジノですが、2016年に初となる逮捕事案が発生し、その是非が賛否を二分することになりました。

この事件は2016年2月、当時運営されていた決済サービス「NetBanQ」の運営者が逮捕されたことがきっかけで起こります。
この決済サービスを通してオンラインカジノサイト「スマートライブカジノ」を利用していた日本全国のプレイヤー3名が、京都府警によって逮捕されたのです。

この結果、3名の逮捕者のうち2名が略式起訴を受け入れ、罰金刑に処されることになりました。
しかし残りの1名は裁判を持さずに争う姿勢を見せます。
その人物は2017年1月に不起訴となり、罰金を支払うことも、裁判にかけられることもありませんでした。

逮捕者発生後の日本とオンラインカジノ

2016年に3人が逮捕された事案の発生以降、日本国内でオンラインカジノを使ったことを理由に逮捕された人物は一人もいません。
これは、国外で行われるオンラインカジノに「賭博罪」を適用することが不可能であると、検察が事実上認めたも同然です。

日本の有罪率は99%以上というデータがありますが、これは検察が確実に有罪にできる事件だけを起訴していることの現れといえます。
オンラインカジノから賭博罪に結び付けることが極めて困難と判断された先例をもつ現在、オンラインカジノの日本人プレイヤーが逮捕される可能性はまずないでしょう。

日本人による日本人のためのライブカジノが登場

2020年には、日本人による日本人のためのライブカジノが登場しました。
ベラジョンカジノでプレイできる「ジャパニーズルーレット」がその1つです。

日本人による日本人のためのライブカジノが登場引用元:ベラジョンカジノ

こちらは日本人ディーラーが行うライブカジノで、日本語での会話を楽しみながらプレイできます。
各カジノサイトは日本人に向けたサービスを拡大させており、ベラジョンカジノのように完全日本語対応を果たしたサイトも急増中です。

オンラインカジノの歴史とは?これまでの流れや今後の見通しを解説

まとめ

まとめ

日本における賭博の歴史は古く、なんと今から1300年以上前には賭博行為が行われていたという事実が、かの有名な『日本書紀』に記されています。
日本の賭博は双六、カルタ、花札と形を変え、パチンコや競馬のように一部が合法化されたギャンブルが誕生するに至りました。

2016年には「IR推進法」が成立し、ランドカジノ誕生を間近に控えるなど、日本における「カジノ史」は大きな前進を遂げ、一般国民からの注目度も上昇中です。

ベラジョンカジノでも、日本人ディーラーによる「ジャパニーズルーレット」などのゲームを導入するなど、日本人にとってかつてないほどカジノを身近に感じられる時代が到来しています。

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